2011.04.28 Thursday
〜島風便〜「サライ」5月号!『古事記』と『出雲国風土記』が語る隠岐諸島。 春を告げる「いわがき春香」・・
『古事記』(712年)の国生み(国土創世)神話によると、伊邪那岐命(いざなきのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)が3番目に生んだのが隠岐である。ちなみに最初は淡路島、次いで四国、隠岐の後には九州、壱岐、対馬、佐渡と続いて、最後に本州が誕生したとされている。数えて8つ、古くは日本の国を「大八島」と呼んだのはこのためである。他にも、『古事記』に隠岐が登場。それは『大黒さま』という小学唱歌にもなった「稲羽の素兎」だ。大国主神に救われるこの素兎が住んでいたのが、隠岐だという。
・・・・一方、『出雲国風土記』(733年)の冒頭を飾るのが、国引き神話だ。これは出雲の国が小さいのを残念に思った八束水臣津野命が、海の彼方の余った土地をちぎり取って縫い合わせたというもの。
ここで記されるのが、北門の佐伎(さき)と良波の地だ。北門とは出雲国にとって北の門、すなわち隠岐のことで、佐伎は海士町の崎。良波は定かではないが、隠岐のいずれかの地であることは間違いない。
こうして佐伎の土地を繋ぎ合わせて狭田の国(島根半島の鹿島町付近)、良波の土地をくっつけて闇見の国(松江市新庄町付近)ができたと、風土記は語る。
雄大な出雲国創世譚である。
写真上:藤原京・平城京跡から出土した木簡により、国引き神話の佐伎が現・海士町崎と立証された。それを記念して、「佐伎の里」の石碑を建立。写真中央:崎の港に着いた後鳥羽上皇が一夜の宿を乞う間に腰掛けたという「御腰掛の石」。写真下:隠岐に春を告げる「いわがき 春香」。
「サライ」5月号!島根県・歴史散歩は、隠岐・海士町でした。
隠岐に春を告げる、いわがき「春香」
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